1988年第1回ジャパンカップについて覚えているいくつかのこと:
・全会場デパートの屋上
・先行販売は「ダッシュ1号・皇帝(エンペラー)」
・当日受付のため各地で長蛇の列
・全国決勝は行われず。最後の東京大会(新宿伊勢丹)が便宜上「日本一決定戦」とうたわれた。
・当時のパーツは「第3弾」まで。ワイドタイヤ&ホイール、ワンウェイホイール、クリヤーボディ、5:1ギヤあたり。
・リヤローラーが発売されてなかったので、自作のリヤローラーを付けたマシンが優位に立った。
・日本一となった駒木氏はレーシングドライバーになったとか。