もうねーちょっと仕事そっちのけで書くけど。
1988年にマクラーレン・ホンダが落とした一勝はフェラーリの地元イタリア。直前に創始者であるエンツォ・フェラーリ(クルマの名前じゃない方)が亡くなっており、弔い合戦となったレースをチーム一丸で制したのである。
で、なぜマクラーレン・ホンダが負けたかというと、残り3周でセナが周回遅れのクルマに追突・リタイヤしてしまったため。
原因はウィリアムズ・ジャッドのジョー・シュレッサーというドライバーなのですが:
・レギュラードライバーのマンセルが病欠のため、シュレッサーのF1デビュー戦であった。
・ウィリアムズは前年までホンダエンジンを使っていたが、鞍替えされたため非力なエンジンを使わざるを得なくなっていた。
・ジョー・シュレッサーの叔父にあたるジャン・ルイ・シュレッサーはホンダが単独参戦していた時代のドライバーで、空冷(!)エンジン搭載のRA302で事故を起こして死亡している。
いやー、ドラマですな~。
間違えた。事故死したのがジョーで、甥っ子がジャン・ルイだった。