有限のリソースである電波をつかった「放送」は放送局でないと扱えないが故、「放送に値するか否か」を判断する基準がある。
一方、放送の素材となる人間の側にも一定の基準があり、それは放送局とのインターフェイスである「事務所」が仕切ることである程度の水準が守られていた(はず)。
ただネットワークのリソースは、当然帯域の幅に制限されるものの電波に比べればはるかに自由であり、「配信」というかたちで個人発信することが容易になった。
それは放送局や事務所の持っていた特権を無効化する一方で、多くの人に届けるに値するか否か、という判断そのものを無意味なものにしてしまった。
……特にオチはない(汗)。