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【昼休みコラム】ミニ四駆の歴史
二次ブームの終焉(1998年~2000年)

インターネットにより改造方法が全国規模で共有されることにより、ミニ四駆は一次ブームを経験したオトナたちの間でも流行となる。

しかし当時のレギュレーションでは、タミヤが主催するビッグレースには中学生以下しか参加することができない。そのため子供のクルマを親がつくる、いわゆる「オヤジマシン」が横行することとなる。

タミヤはその対策として1998年のジャパンカップの決勝ラウンドで「ステージ上で選手に素組みで一台作らせてコースを完走させられたら合格」という関門を設ける。しかし衆人環視の中での工作が苦手な子供が不利を被るなどフェアとは言えないものだった。

1999年には『レッツ&ゴー!』のマンガ・アニメともに終了。同年の開催をもってジャパンカップも休止となり、第二次ミニ四駆ブームは幕を閉じる。

単三電池と130モーターで走るホビーは、よりゲーム色を強めた「ダンガンレーサー」に引き継がれることとなった。

同時期にガンプラのHGUCシリーズも始まり、ホビー業界からミニ四駆の名前はいつしか忘れられていった。

@Bernie_Nihei 俳句を発見致しました!
『方法が全国規模で共有さ』

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