創作の話。
こないだのガンダム総選挙特番で、富野監督が「ひとりの人間を描けたシーン」としてセイラがシャアを想うシーンを挙げて思わず涙してた。
これだけ取り上げると、「空想のキャラクターが人格を持つ」というシャーマン的なことを考えがちだけどそうじゃない。
例えば、CGで舞い上がる土煙とか描写するのはよくある事だけど、あれはヒトコマヒトコマ描くのではなくて、粒子の重さとか風向きとかの要素を入力し、物理法則に基づいた演算によって描かれてる。
それと一緒で、人格を構成するさまざまなファクターを自身に入力することができれば、ある出来事にたいしてその人物がどういうリアクションをとるのかは演算のように導き出せるのよね。
そこを無視して作り込んだストーリーに合わせてキャラクターを無理矢理動かすと不自然なことになるわけ。
キャラクターが勝手に動き出すというのは、創作者の思い込みではなく現実に起こることだと思うのである。
@Bernie_Nihei 俳句を発見致しました!
『舞い上がる土煙とか描写する』
@Bernie_Nihei 昔読んだ小説(タイトル失念)で、主人公がラストで拳銃自殺するのですが
「この主人公は絶望的な状況で生きる気力を保てるような強い精神力の持ち主ではない」
と作者があとがきで言及していたのを思い浮かべました。