ニュータイプが独り歩きして散らかってしまったので「反戦」と「優生思想の否定」を改めてやったのがSEEDなんだけど、同時期に富野監督が蘇ってきて「ニュータイプは隣人愛だよ!」をやったのが新訳ゼータ。カオスだなこの時代(汗
「機動戦士ガンダムSEED DESTINY」中立国オーブの選択
神の視点だから言えることだが、第二次連合・プラント大戦におけるオーブ連合首長国の立ち回りにおいては、表向き地球連合に恭順しつつも裏でプラントと結託して最終的にジブリールの寝首を掻くという選択肢はあったように思える。
別段、荒唐無稽な話ではなくアスラン・ザラという議長とのホットラインはあったわけで。
カガリ・ユウナ・アスランが私心無く行動できていればそれができたが、それはもうガンダムSEEDではない(汗
これまた神の視点から見ると連合にデストロイやレクイエムという隠し玉があった以上、セイラン家の選択もベストとは言えないが、結果だけ見れば案外ベターな選択だったのだと感じる。
こういう風に視聴者が考えられる余白があるので、やはり単体の物語としてはアレでもシェアード・ワールドのフレームワークとしては間違いなく優れた作品なのよ、SEEDって。
プレミアムバンダイとかでアニメ・特撮の高額グッズがバンバン発売するわけじゃないですか。全部買う人の家計簿いったいどうなってんですかって。
バンダイも含めて誰も何が正解かよくわかってないんですよ。多分。
自分が見ている中で「親(大人)がハマる」って現象は「仮面ライダークウガ」から始まった気がする。
通っていた塾の講師が30代くらいで「仮面ライダーが復活したんだけどウチの子供じゃなくて俺がハマってしまいベルトと買ったら奥さんに怒られた」というような趣旨の話をしていた。
ガンプラからの派生でミニ四駆にも首突っ込んでる系の人。