総括 「機動戦士ガンダム 水星の魔女」
【1期ラスト(12話Cパート)の衝撃】
「コードギアス」で「血染めのユフィ」をやらかした大河内一楼の作家性がこれでもかと出ていた。鳥肌が立ったし、面白いとか感動したとかではなく「何かすごいものを見てしまった」という感覚に襲われた。興奮が止まらなかった。ABCD評価でAくらいの評価が一気にSS評価になった。
「水星の魔女」という作品はアノ演出があってこそ2期のハッピーエンド(と言えり)を皆が素直に受け入れられたと思う。1期があの形で終わっていなかったらイマドキのアニメファンの顔色を伺うだけの佳作どまりで終わっていた。これは断言できる。
総括 「機動戦士ガンダム 水星の魔女」
【課題を残しながらも希望と共に幕引きするいつものガンダムらしいラスト】
スレッタとミオリネ(とグエルとラウダ)の「家族の話」には概ね決着がついたが、ミオリネの決断により地球に売却された資産は結局宇宙に買い戻され、シャディクの理想は実現しなかった。アド・ステラの世界が抱える根本的な課題は何も解決していない(実にガンダム)。
それでもアスティカシアが復興し、「モビルスーツに乗るよりも勉強がしたい」と発言したセドが学校に通えている後日談を見ると、10代向けと称して当初の企画から後付けで導入された「学園モノ」の要素がガンダム世界における未来への希望の象徴として昇華されたことは「上手く着地させたなぁ!」という印象。ガンダムの主人公、学校ブッ壊されて復学できない子が多いから…。
”とは言え、本来設定的に無理のある形態であることには変わりなく、バラエーナ基部の可動部は後付けの分、非常に不格好なため、プラモデル作例ではこの部分が見えないように写すのが常となっている”
ハイマットフルバースト (はいまっとふるばーすと)とは【ピクシブ百科事典】 https://dic.pixiv.net/a/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%9E%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%95%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88
総括 「機動戦士ガンダム 水星の魔女」
【話を無理やり動かす為のおばかキャラの不在】
水星には00のネーナとか、鉄血のイオク様みたいなお馬鹿な行動で事態を悪化させる(ついでに視聴者のヘイトを買う)キャラがほぼ居ない。
全員が「このキャラの状況的にはこうするしかないんだろうな」と納得できる動きをする。それでもすれ違いが起きて、それがドラマになるから面白い話が作れる。
総括 「機動戦士ガンダム 水星の魔女」
【富野由悠季が打ち立てた「勧善懲悪の否定」の更に一歩先を行った人間ドラマ】
これはもう、ペトラとフェルシーが凄く良いキャラをしていた。水星の魔女を面白くした隠れMVPだと思う。
最初は如何にも使い捨てで終わりそうな学園ドラマの悪役だったキャラ達が、テロに巻き込まれていく中で主役サイドにも寄り添っていったわけなんですが、彼女達が改心したとか、使命感に目覚めたとか、ホントは良い子達とか、そういうことではないってところがポイントだと感じた。
ペトラがスレッタを助けたのも、フェルシーがMSに乗って学園を守ろうとしたのも、人が人として本来持っている善意みたいなもので、しかしながら、そのひとかけらの善意と勇気がグエルとラウダを救ったと考えると、よくやったどころの騒ぎではない。
総括 「機動戦士ガンダム 水星の魔女」
【メタ要素を含めた「ガンダムとは何か」という問いかけ】
水星の魔女はこれが非常に面白い。シリーズにおいて「ガンダム」という概念が物語上重要なガジェットになったことって案外少ない(ガンダムっていう名前のアニメの主役ロボだからガンダムなんです、くらいのイメージ)。
「ガンダムを倒せるのはガンダムだけだ」はもはや竈門炭治郎に言わせているとしか思っていない(ホビーコーナーに積み上げられたキメツ商品を横目に)。
細かすぎる「水星の魔女」の好きなシーン
5話のエラン(強化人士4号)「ガンダムを倒せるのはガンダムだけだ」
ガンダムを一度完全に倒した(と目される)アニメである「鬼滅の刃」の花江夏樹 氏にこのセリフを言わせるの実にメタいなと、ふと思った。
細かすぎる「水星の魔女」の好きなシーン
15話のサビーナ「その辺にしておけ」
「ソフィを喪った直後で錯乱しているノレアを無理に止めるよりも目の届く範囲でニカが死なない程度にガス抜きをさせた上で手当てにかこつけて恩を売ってニカを仲間に勧誘した方が良さそう」とかいう、その後の結果を見ると割と妥当な選択だったんだろうけどクールすぎるぜサビーナ様。
ガンプラからの派生でミニ四駆にも首突っ込んでる系の人。