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人生の幸福感を上げるために【推し活】を奨励する人たちがいますが、自分は反対。

幸福感や自己肯定感を【推し】という自分の外側にいる存在に依存すると高確率で人生が崩壊するので。

読書とか筋トレとか何かしら自分の財産になることに先ず費やした方がいいと思っているクチです。そんで余裕ができたら推し活でも何でもやればよろし。

機動戦士ガンダムXのオチの話 

日本で旧優生保護法が廃止されたのはガンダムXが放送開始した1996年である。そういう時代背景も下敷きにあって「ニュータイプは卒業しようぜ!」ってオチになったと解釈している。

ガンダムSEEDがネオ宇宙世紀をやるつもりで作られたことは明白だったがそれは内ゲバに近い形で頓挫し(汗)

∀て一度閉じたシリーズがSEEDでリブートしながらも結局は新訳Z、UCを経て宇宙世紀に回帰する。この流れ自体がもはや大河ドラマだよ。

観光産業もコンテンツ産業も客が一方的にカネを落として終わり、ヒト・モノ・カネの循環が途切れるのでそればかりが産業として注目されるのは問題だと感じている。

小規模でも循環が発生していてその中でプレイヤー全員が食べていけるのであれば産業としては御の字。

考察:「機動戦士ガンダムSEED」マリュー・ラミアスは本当は何者なのか 

もっと言うと民間人含め大戦を生き残ったアークエンジェルの乗組員の大半(少なくともマリュー、ムウ、ノイマンはそう)が「ファースト・コーディネイターを生み出す元になった『天才』の遺伝子情報を提供したナチュラルの家系」の生まれなんだと思った。これも完璧な憶測だけど(汗

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考察:「機動戦士ガンダムSEED」マリュー・ラミアスは本当は何者なのか 

もう一つ根拠はある。SEEDの第4クールのOP(TV・リマスター同様)では遺伝子をモチーフにした背景にムウとクルーゼ、そしてマリューが写るカットがある。

遺伝子上の血縁関係にあるムウとクルーゼはともかく、クルーゼとは敵味方以外に接点の無いマリューがこのカットに映り込む理由は何だろうか。

ムウとクルーゼの関係が明かされるのは第4クールであるが、当初構想ではマリューも何かしら関係してくる予定だった、その名残ではなかろうか。

例えば元の構想ではコーディネイターはフラガ家とラミアス家の遺伝子をベースに生み出された、という事実が明かされる予定だった、とか。

仮説:マリュー・ラミアスはコーディネイターの元になった「天才」の遺伝子を持つ家系の生まれである。

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考察:「機動戦士ガンダムSEED」マリュー・ラミアスは本当は何者なのか 

研究は進み、当時の研究者たちはこれらの才能を発揮するための遺伝子を特定するに至った。

そうして発見された「天才の遺伝子」を組み合わせ、成功例として生み出されたのがジョージ・グレンである。

コーディネイターをコーディネイターたらしめている「優れた遺伝子」を元々持っていた家系が世界には存在しており、ラミアス家もその家系の1つ、と考えればすべての辻褄が合う。

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考察:「機動戦士ガンダムSEED」マリュー・ラミアスは本当は何者なのか 

努力すればナチュラルでもコーディネイターに勝てるし、コーディネイターより優れた才能を持つナチュラルもいる、というのが視聴者による一般的な解釈である。

だが本稿では敢えて踏み込んだ仮説を出したい。

作品世界におけるコーディネイターの製造技術は万能の天才と呼ばれたジョージ・グレンが自らを生み出したノウハウを世界中のネットワークに流出させたものである。

あらゆる方面で才能を発揮し重大な疾病にもかからないのがコーディネイターであるが、その最初のコーディネイターはどのような過程で生み出されたのか?

無から有は作ることはできない。

新人類たるコーディネイターを生み出す研究過程で優れた頭脳、丈夫な身体、美しい容姿、世界中のありとあらゆる生まれつきの才能を持った者達の遺伝子が解析されたのであろう。

「フラガ家」もおそらくは「先読み」という才能を持つ遺伝子情報を提供した家系の1つである。

“マリリン・モンロー「私の美貌とあなた(=アインシュタイン)の頭脳を持った子供は、さぞ素敵でしょう?」”

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考察:「機動戦士ガンダムSEED」マリュー・ラミアスは本当は何者なのか 

マリュー・ラミアスは割と謎が多い人物であり、彼女の正体を考察することでガンダムSEEDという作品の当初の構想に迫りたい。

劇中で描写されるマリュー・ラミアスという人物の優れた点

・連合の技術士官でありフェイズシフト装甲の開発主任
・コーディネイターを白兵戦で撃退
・アークエンジェルの艦長として艦を守り抜く
・常識に捉われない大胆な発想力
・優れた人心掌握術
・美人である(DESTINY第8話におけるアーサーの反応)
・CV:三石琴乃

コーディネイター顔負けのオールラウンドな才能の持ち主である。

考察:「機動戦士ガンダムSEED」ナタル・バジルールの絶望と選択 

ナタル・バジルールは軍人としての誇りと責務からドミニオンの指揮を執っていた。戦争を終わらせたい一心で最前線で汚れ役に務めた。

だが全ては間違いであった。

多くの命を奪ってなお、ザフトの決戦兵器ジェネシスを前に連合の敗戦は決定的。上層部とそれを操るムルタ・アズラエルは私闘に走り、乗組員の生命は風前の灯。地球は滅亡寸前。

自分が信じていたものが何もかも間違いだったと彼女は悟った。

ナタルは戦線を放棄して乗組員に退艦を命じ、自らはアズラエルと共に死ぬ事を選んだ。

「貴方はここで死すべき人だ、私と共に」

彼女にはあの局面でアズラエルを拘束し、アークエンジェルと共闘してジェネシスの阻止に向かう、という選択肢もあるにはあったであろう。

しかしながら極限状況で絶望に押し潰された彼女にできる最大限の善意であり、罪滅ぼしがアノ選択であった。

視聴者から見れば間違いに見えてもナマの人間の感情ならそうするだろうという選択をキャラクターにさせる手法は土6 - 日5枠においてしばしば用いられていると感じる。

かっこいいMSのガンプラが出るたびに思うのは「これMGで出してくれん?」ってことだ。

ガンダムの物語を国語的にどう読解するか、というのは面白いテーマだと思うが、どうだろうか。

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ガンダムを「勧善懲悪ではない」とか「それぞれの正義」みたいに説明するのは国語的には30点くらいだと思う。

表現者として自分のやりたい活動をしながら自分の生活を守ろうと思ったら【アイドル】って括りが必要だということは後になって気付くものなんだなと。

ガンダムSEEDを見ていると「一見短慮だが結果だけ見るとベターな選択肢だった」ということがよくある。 

代表例が序盤のラクス・クラインの返還であり、キラ・ヤマトと一部の学生による独断で行われたことだが、敵国のVIPを穏便に返還できたことが後々にアークエンジェルを助けることに繋がったわけで、しかも自軍にも損害を与えていない。

映画も見たことだしガンダムSEEDシリーズへの最終的な評価を下したい 

「萌え」重視の単純娯楽やマニアが考察して楽しむ上でのフレームワークとしては上出来なんだけど、面白い物語が見たい層からすると駄作というのが自分の中の最終的な評価として落ち着いた。

困難な局面を乗り切った後に映像研の金森氏みたく「今回はたまたま運が良かっただけです」ってクールに言ってみてえ。

フリーレンがヒットしているように、ガンダムXの物語はストレスフリーなロードムービー的作りなので今作っていたらそれなりにウケたと思う(キャラデザとかその辺は諸々時代の好みに合わせるとして)。

ガンダムSEEDシリーズの世界観を構成する

・ヒトの遺伝子の改変
・ウイルスデマ(設定として存在する新型インフルエンザの流行)
・過激な殲滅戦
・劇場型のナショナリズムにより国家の方針が決まり、戦争が起こる

という、20年前の放送当時は荒唐無稽とされた設定が今になって現実が追い付いてきているという点は度々指摘されている(汗

SEEDとGレコの関係 

富野由悠季カントクが直々にメガホンを取った「Gのレコンギスタ」は謂わば「富野版ガンダムSEED」という趣があることは想像がつくだろう。

海賊部隊を率いる未熟なお姫様が弟に支えられながら戦争に介入し、両軍のタカ派を粛清して戦争を止めるという構図はSEED終盤の展開そのまんまである。

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