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実家の用が長引くのではぴすまは夕方近くなりそうだな~

皆さんの応援のおかげでコンテは最後まで埋まりました。あとは作るのみ(汗)

明日なんもないとおもったらレースやるのか……気づいたらはぴすまで一回もレース出たことなかったからいっちょやったりますか。

きのうの新日本プロレス「レスリングどんたく」初日のメインイベント、IWGP Jr.ヘビー級選手権試合《ドラゴン・リー(王者)Vs.石森太二(チャレンジャー)》は人知を超えた超絶レスリングだったので地上波で放送の折りにはぜひ見ていただきたし。

ここんちは「クマノテツさーん、玄関開いてるんで入りますよー。酒買ってきましたよー。」みたいな居心地のよさがある(汗)。

@emk_with7 タイミング良ければニアミスするかも知れません。そん時はよろしくお願いいたします。

動画編集中のにへい先生に励ましのお便りを

1/3できた
2番は1番のテンプレートが使えるからペースはあがる…はず……。

各所での動きに対して出遅れてるから盛り返さないと(肩が痛い)。

1988年第1回ジャパンカップについて覚えているいくつかのこと:

・全会場デパートの屋上
・先行販売は「ダッシュ1号・皇帝(エンペラー)」
・当日受付のため各地で長蛇の列
・全国決勝は行われず。最後の東京大会(新宿伊勢丹)が便宜上「日本一決定戦」とうたわれた。
・当時のパーツは「第3弾」まで。ワイドタイヤ&ホイール、ワンウェイホイール、クリヤーボディ、5:1ギヤあたり。
・リヤローラーが発売されてなかったので、自作のリヤローラーを付けたマシンが優位に立った。
・日本一となった駒木氏はレーシングドライバーになったとか。

@hrdu1 私の記憶が確かならば、1989年1月ではまだ「タミヤ公認競技会規則」も「ジャパンカップJr.サーキット」も存在してなかったので、タミヤ以外のパーツを使うことはタブーではなかったはずです。

この年の3月のラジコンフェスティバル(今でいうスプリングGPに相当)に合わせて色々なものが整備され、2回目のジャパンカップにつながっていったのですね。

『アオイホノオ』で新谷かおるが松本零士からの教えとして「高すぎる画材では、もったいなくて思いきったものが描けない(だから水彩絵の具でカラーは十分)」ということを言っていたが、造形分野でも同じではないかと。

高いキット、高いパーツ、高いツールではなかなか手が進まないからなぁ。破損しても惜しくないものでがしがし作った方が健康的だし仕上がりもよくなるはず。

@hrdu1 スマホだと17ページでした! んはっ、これはパチですね(汗)! 時代が語りますね!

ライセンスの話でいくと、マクラーレンとタミヤのライセンスが1993年一杯で切れたときに、ミニFのマクラーレン・ホンダMP4/7が「店頭から回収された」という都市伝説が流れましたが再生産されなかっただけぽいですね。

その後、1998年や2007年にマクラーレンF1のプラモやラジコン出てますので、将来的には復活もあるでしょう。

@hrdu1 呼びました(汗)? 1989年は10歳ですので超直撃ですね、ハイ!

U2クルセイダーズ仕様アバンテの底にあるアンダーガードは、プラ板がくっついてるだけでグレードアップパーツではありません!

@nisaonhobby サフにはパテ的な成分が含まれてるので微粒子レベルでエッジが甘くなるんですよね。

ESPN F1 日本版から引用:

【ニュース】25年前の5月1日、事故でこの世を去ったアイルトン・セナ。彼はレース後に広げようと、前日に亡くなったラッツェンバーガーのためのオーストリア国旗をコックピットに用意していました。“幻となったトリビュート”がスペインGPの表彰台で実現します🇦🇹🇧🇷🏆 t.co/HR0Fr5FEr6

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