【昼休みコラム】ミニ四駆の歴史2
4.レーサーミニ四駆(1987年)
スピードが出るミニ四駆は、当時RCカーなどとても買ってもらえなかった小学生に歓迎された。しかし遊び方は従来のミニ四駆と変わらなかったため、タミヤは新たな遊び方の提案に苦慮していた。
1987年のモデラーズギャラリー「公認五種競技」を初開催。円筒形のコースで何回回転できるかを競ったり、オフロードコースを走破するなどスピードを競うのではなくゲーム感覚のコースが主だった。
その中で、2レーンのオーバルコースでスピードを競う「ウルトラマッハサーキット」が人気を博し、これが現在までつづく「壁で仕切られたコースを走ってスビードを競う」というレーサーミニ四駆ならではの遊び方のさきがけとなる。
また子供たちが、コースでのパフォーマンスを上げるため、キット標準ではない様々なパーツを取り付けた姿をみたタミヤは、別売りの純正オプションパーツ「グレードアップパーツ」の発売を同年から始める。
この「コースでのスピード競技」「オプションによるカスタマイズ」という2つの新たな遊びを得たミニ四駆は、翌1988年に大ブレイクすることとなる。
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広告の再審査って要するにクレームがきたら取り下げるってことだろ。
Twitterは所詮、USの一企業のサービスということを認識しなおさなければなるまい。
【昼休みコラム:歴史編1】
ミニ四駆に対するタミヤのスタンスって結構「行き当たりばったり」なんですよね(汗)。
1.元祖ミニ四駆
田宮俊作社長の「最近のプラモは難しすぎる。近眼のオレでも作れる簡単なものが欲しい」との号令で、実者のスタイルをリアルに再現したボディと走りを重視した頑丈なシャーシを組み合わせてデビュー。
しかしリアルなスタイルはターゲットとした子供たちの興味を引くには至らなかった。
2.コミカルミニ四駆
田宮社長の知人である、アニメーター大塚康生氏監修で、当時(1984年)はやりはじめた「デフォルメ」を取り入れたボディを採用し、話題となる。その中でRCカーで発売された「ワイルドウィリス」をスケールダウンした「ワイルドウィリスJr.」をリリースした事が大きなターニングポイントとなる。
3.レーサーミニ四駆(最初期)
コミカルミニ四駆は好評だったが「遅い」という声が多く寄せられスピードの出る設計に着手。また「ホーネット」などRCバギー人気の高まりから「RCバギーのスケールダウンボディ+走行専用シャーシ」というコンセプトが生まれる。これがレーサーミニ四駆である。
ミニ四駆が好きですが、競馬(中央・南関東)とプロレスとモータースポーツ(F1・フォーミュラe)が好きな43歳です。たまに小説らしきものを書きます。
Twitterに比べてエキセントリックな内容でお送りしますのでリムーブ、ミュート等適宜お願いします。