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何かスカッとせんなー。

明日はミニ四駆有識者会議なのでその辺で少しぶんまけますかな…。

とか言ってる間にタミヤ主催大会のコースが出たので見てしまう。自己嫌悪。

随分久しぶりにテーブルトップがないレイアウト。明らかにフレキの優位性をツブしにきてますね。好印象。

例えば、パチンコを研究して大当たりを連発した人を「よく頑張った。努力の成果ですね」とは言わないですよね。
以前競馬予想のアプリケーションで大儲け→大損した人が話題になりましたけど、それも「研究した成果があった」とか言わないですよね。

広い目で見ればミニ四駆もおんなじようなモンですよ。

レジャーの域を超えて、いいオトナがムキになって取り組むものじゃない。
あくまでストレス発散の遊びとして、仲間と語らうためのサカナとして、子供と共通の話題のネタとして取り組むべき。

特にいま、アマチュアスポーツの清々しい姿を見てるとそう思います。。

こないだの豊田真友子議員のコンデレマシンの件で問い合わせた時にわかったのは、タミヤのスタンスは「ルールを作るとルール違反を指摘しないといけなくなるのでルールは作らない」というものなので、車両規則以上の何かは作るつもりはないようですね。

個人的には東京以外の大会は「越境」を許さないようにした方が健康的だと思いますが。

しかし本当に、ブシロード木谷氏の言葉を噛み締める。

「すべてのジャンルはマニアがつぶす」
「マニアは閉鎖的で、ライトユーザーを駆逐する」

まあでも競馬でもパチンコでも新興宗教でもなんでもいっしょだな。

しかし、去年のイベントが仮に成功していて、その後もコラボを続けていたらと思うとゾッとする。

短期間では失敗と思えることも、長期間での成功のいしずえとなることもある、ということかな…。

《未収載》
今日のやる気が尽きたので鳥の様子を見てたら、仙台って一位二位がフォースラボの店員、三位がフォースラボの客なのね。

それに対する声にたいして元店長の小池氏「アカウント名:こいけさん」が「うるせーな、ミニ四駆やめろ」と発言してますね。

さてどうなることやら

RCより安くて、
スケールモデルより簡単で、
ガンプラよりゲーム性があるのがミニ四駆なんだろうけど、
裏を返せば、

スケールモデルより難しく、
ガンプラより高価で、
RCほどのゲーム性はない
のもミニ四駆であろう。

F1のスポンサーとか様々なイベントの協賛を企業が終わる際に色々批判や嘆願が寄せられるわけだけど、それらは「経営判断」だということが今ならよく分かる。

ニコ超のミニ四駆企画はアメンボ云々の以前に、ニコ超全体のパワーに押されてリソースが必要な割には目立ってない印象。

5/5馬車道に集中したいし。

そういう意味じゃ私は二次ブーム末期に「ミニッツF1」に浮気してタミヤのツーリングカーをしばらく走らせてました。ただRCは場所とるので福岡への引越し時にほぼ廃棄しました。

プロポなどの高額コンポーネントは取ってあったのですが、いつの間に使用電波帯やモーターの規格がガラッとかわっていたのでそれらも先日廃棄。

ニッケル水素用の充電器だけと使ってます。

タミヤってミニ四駆ユーザーを何とかしてRCユーザーにクラスチェンジさせようとしてるけど一度たりとも成功していないね。最近だと「ライトニングホーク」も鳴かず飛ばずだったし。

「ミニ四駆の歴史」シリーズはあくまで個人の経験と印象に基づくものなので、事実関係や時期については前後してる場合がありますが、見逃してやってください(汗)。

【昼休みコラム】ミニ四駆の歴史4

6.レーサーミニ四駆(1988年・第一次ブームの到来とアバンテJr.の登場)

1988年のジャパンカップは当日受付で開催されたことから、各会場では多くの子供たちによる行列ができた。いかにもマスコミ映えする絵であることから多くのメディアで取り上げられ、ここに第一次ミニ四駆ブームが始まった。

会場では「ダッシュ1号・皇帝(エンペラー)」が先行販売され、「マンガに登場したマシンのキット化」という流れがつくられた。

ジャパンカップ後に一般販売されたエンペラーは大人気となり、一般の模型店では目にすることが出来ず。またワイドタイヤなどの人気パーツはその他の不人気パーツ・キットと抱き合わせ販売されるなど、かつてのガンプラブームを想起させる減少が各地で起きていた。

コースを使ったレースが遊び方として定着すると、よりコース走行に特化したシャーシを望む声があがった。それに応えた新シャーシは、ローラーを標準装備、素材は衝撃に強いABS、タイヤはスリックという完全オンロード仕様で登場する。

1988年12月、新シャーシ第一弾としてアバンテJr.が発売された。

【昼休みコラム】ミニ四駆の歴史3

5.レーサーミニ四駆(1988年・ジャパンカップ前夜)

1987年末に「グレードアップパーツ」がリリース、さらにマンガ『ダッシュ! 四駆郎』がスタートしたことで、プロダクト面、プロモーション面でミニ四駆はホビー激戦区に乗り込んで行くこととなる。

1988年春に開催された「コロコロRCフェスティバル」用に、大型の5レーンコースが作られ、好評を博したことからタミヤは「巡業形式でのプロモーションイベント開催」を決断する。

この背景には、先行してコロコロが推していた「ファミコン全国キャラバン」の存在があった。

1985年の夏にハドソン(現在はコナミに吸収)のシューティングゲーム『スターフォース』を統一タイトルとして、全国で開催されたキャラバンは、「高橋名人」というカリスマとともに子供たちを熱狂させた。

この「統一ルール」「全国巡業」「名人」という発想はそのまま「タミヤレギュ」「ジャパンカップ」「ミニ四ファイター(現在はMCガッツ)」として流用された。

そして1988年の夏休み。北海道を皮切りに「第一回ミニ四駆ジャパンカップ」が始まる。

おはようございます。
昨晩はお目汚し失礼いたしました。

きょうは平穏に過ごします(汗)

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ミニ四駆DON

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