【昼休みコラム】ミニ四駆の歴史4
6.レーサーミニ四駆(1988年・第一次ブームの到来とアバンテJr.の登場)
1988年のジャパンカップは当日受付で開催されたことから、各会場では多くの子供たちによる行列ができた。いかにもマスコミ映えする絵であることから多くのメディアで取り上げられ、ここに第一次ミニ四駆ブームが始まった。
会場では「ダッシュ1号・皇帝(エンペラー)」が先行販売され、「マンガに登場したマシンのキット化」という流れがつくられた。
ジャパンカップ後に一般販売されたエンペラーは大人気となり、一般の模型店では目にすることが出来ず。またワイドタイヤなどの人気パーツはその他の不人気パーツ・キットと抱き合わせ販売されるなど、かつてのガンプラブームを想起させる減少が各地で起きていた。
コースを使ったレースが遊び方として定着すると、よりコース走行に特化したシャーシを望む声があがった。それに応えた新シャーシは、ローラーを標準装備、素材は衝撃に強いABS、タイヤはスリックという完全オンロード仕様で登場する。
1988年12月、新シャーシ第一弾としてアバンテJr.が発売された。
【昼休みコラム】ミニ四駆の歴史3
5.レーサーミニ四駆(1988年・ジャパンカップ前夜)
1987年末に「グレードアップパーツ」がリリース、さらにマンガ『ダッシュ! 四駆郎』がスタートしたことで、プロダクト面、プロモーション面でミニ四駆はホビー激戦区に乗り込んで行くこととなる。
1988年春に開催された「コロコロRCフェスティバル」用に、大型の5レーンコースが作られ、好評を博したことからタミヤは「巡業形式でのプロモーションイベント開催」を決断する。
この背景には、先行してコロコロが推していた「ファミコン全国キャラバン」の存在があった。
1985年の夏にハドソン(現在はコナミに吸収)のシューティングゲーム『スターフォース』を統一タイトルとして、全国で開催されたキャラバンは、「高橋名人」というカリスマとともに子供たちを熱狂させた。
この「統一ルール」「全国巡業」「名人」という発想はそのまま「タミヤレギュ」「ジャパンカップ」「ミニ四ファイター(現在はMCガッツ)」として流用された。
そして1988年の夏休み。北海道を皮切りに「第一回ミニ四駆ジャパンカップ」が始まる。
ミニ四駆が好きですが、競馬(中央・南関東)とプロレスとモータースポーツ(F1・フォーミュラe)が好きな43歳です。たまに小説らしきものを書きます。
Twitterに比べてエキセントリックな内容でお送りしますのでリムーブ、ミュート等適宜お願いします。